アフリカ支援の歴史
半世紀以上にわたる長崎大学のアフリカ医療への取り組み
長崎大学1964年に初めて教員をアフリカに派遣し、以来半世紀以上にわたって継続的にアフリカ医療に関わってきました。現在はアフリカ中部のケニア共和国に大学教員が常駐する海外教育研究拠点を持ち、アフリカに広く医療系のプロジェクト/人材育成事業を展開しているほか、工学分野、水産分野でアフリカを支援するプロジェクトを展開してきました。
アフリカでの現地調査の始まり(1964年~)
長崎大学で初めてアフリカに渡ったのは現在の熱帯医学研究所にあたる風土病研究所の林 薫講師でした。
のちに熱帯医学研究所の教授となった林医師は京都大学の “アフリカ類人猿学術調査”の一員として1964年にタンザニアを訪れ、ウイルス病の調査を実施。
翌年の1965年には片峰大助教授他3名が4ケ月間マラリア、糸状虫症などの調査をタンザニアで行いました。
風に立つライオン:ケニアにおける本格的な医療技術協力(1966年~)
1964年に始まった長崎大学の現地調査は1966年の科学研究費の採択につながり、ウイルス、細菌、寄生虫研究者7名が9ケ月間アフリカで研究しました。
こうした調査研究活動を知った海外技術協力事業団(現在のJICA)から、ケニアのリフトバレー州立病院での医療協力要請がなされ、これに応えた長崎大学は以後10年間に渡り計38名の医師、看護師、検査技師をケニアに派遣して現地の人に寄り添った医療を行ってきました。
これらの活動は長崎放送(NBC)によって取材され“ダクタリジャパニ”(日本のお医者さん)というドキュメンタリー番組(1972年放映)となりました。
さらに、プロジェクトに参加した柴田紘一郎医師の話がさだまさしさんの名曲と小説「風に立つライオン」となり、2015年には大沢たかおさんの主演で映画化されました。
ケニア中央医学研究所(KEMRI)への技術協力と感染症研究(1979年~)
JICAと連携した長崎大学のアフリカへの医療協力は、その後ケニアの医療を背負って立つべく設立されたケニア中央医学研究所への協力に移行しました。
1979年からAll Japan体制で始まったケニア中央医学研究所への協力で長崎大学は、20年以上にわたり、ウイルス、細菌、寄生虫、肝炎分野に多くの専門家を派遣し、プロジェクトを牽引、ケニア中央医学研究所の研究教育機能の強化とケニアの感染症対策の推進に中心的役割を果たしました。
長崎大学アフリカ海外教育研究拠点(ケニア)の設置/医療の枠を超えた協力(2005年~)
長崎大学の長きにわたるケニアでの貢献が認められ、2005年にはケニア中央医学研究所(KEMRI)の敷地内に長崎大学の海外拠点が設置されました。
ケニアの拠点では拠点長ほか2名の研究者、4名の事務職員、87名のケニア人職員・学生が研究棟に従事しています。拠点が設置されて以来、従来行っていた感染症研究を中心とししながら、歯学部の口腔衛生研究、水産学部の淡水魚養殖や加工製品、工学部の水質検査と湖水浄化研究、現地のロボット技術発展のためのロボットコンテストへの協力が展開されてきました。
そして、ケニア以外でもエボラ出血熱の迅速診断法の開発(ギニア)、感染症流行の早期警戒・監視システム構築(南アフリカ・エジプト・コンゴ民主共和国・ナイジェリア連邦共和国)、橋のインフラ管理、アフリカ文化の研究と長崎大学はその活躍の幅をアフリカで広げています。